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2006/06/19

いじめと、ともに生きる

 前記事の続きだが、今回はボク自身のいじめ経験も踏まえて話を進めていく。いじめられた経験のある方、ぜひこちらへトラックバックかこのブログへコメントをお願いします。(FB注意:記事の都合上、フラッシュバックを催す恐れのあるいじめ被害者の方は、「続き」の閲覧をご遠慮お願いします。)

 畠山鈴香容疑者の起こした事件がクローズアップされてしばらく続くが、供述が変化しており真相はますます闇の中に入りそうだ。ただ、容疑者の過去を裏付ける物的証拠も出てきた。高校の卒業文集だ。こちらのブログに文集の一部が掲載されており、高校時代いじめを受けていたことを窺える。生徒全員の記憶に残り、学校の記録にも残る思い出の一冊に、同級生達はよくもこんな暴言を書けるものだ。そしてこれを印刷に出してしまう大人たちだって責任は大きい。こういった方々が多くのインタビューに顔を伏せて答えているのを多く見受けられるが、あなた方が与えた心の傷が畠山鈴香という人物を歪めたことに罪悪感を感じないのだろうか?

 そしてまた、ボクもいじめられっ子である。同じく心を歪められ、今に至る。学生だった平成6年頃は、いじめを苦にした自殺が社会問題化した。ボクは自殺をしなかった強い心を持つ部類なのか?それとも死ぬ勇気すら無い弱い心を持つ部類なのか?

 いじめ被害の自分史は小学校入学の頃にさかのぼる。羽交い絞めにされて殴られたり、好きな人の名前を言わされたり言いふらされたりした。「精神病院に行っちまいな!」という暴言は今でも心にグサリと刺さっている。
 短気だったから相手を殴り返したり物を投げることもあった。「ボク以外はみんな敵だ」という歪んだ感情も湧いたが、「中学になれば環境も変わる、それまでの辛抱だ。」という信念だけが、学校へ足を運ぶきっかけだった。
 図書室がボクの安全地帯だったのは学校にいる上での唯一の救いだったかな。図書室の静寂は落ち着けるし、ボクが図書委員長になった時も規律が乱れなかったのは助かった。図書委員であることが、ボクの存在意義だったような所はあったと思う。

 いじめという現実はあっても、ボクは転校という選択はしなかった。いじめっ子と同じ中学へ。これは親がいじめという問題を直視しなかったということも大きいのだが。
 クラスが増えて小学校時代のメンバーが分散したことや先輩の影響もあって、ボクに対するいじめは減った。端的に言えば「いじめっ子」は「不良」となった訳だが、これを機にいじめを俯瞰で見られるようになった。かつての「いじめっ子」とは話をしなければいい。
 新しい友達もできた。学級委員長などを歴任したこともあり、ようやく良い思い出を携え学校を卒業できた。

 そして進学した埼玉県立浦和高校。ここでは住所による差別が横行していた。当時は学区制が布かれており地元出身者が過半数を超えるよう定められていた。これが遠方から通う人イコール少数派ということになり、差別の対象になった。いろんな差別用語も飛び交った。遠方から通うことのデメリットを特に強く感じたのは放課後だ。地元通いは日付をまたいでまで残れる(徒歩でも帰れる)が、遠方の者は終電を逃すと帰宅できない。「学校に泊まれよ!」とはよく言われたものだ。そんなこと教師陣や親が許さないことは分かってる。夜10時の「早帰り」は屈辱だった。
 こういった下地の上でボクが一番傷ついたのは「全否定」である。住所をとやかく言われるのはもちろん、ボクのやること全てにケチをつける。叱るのみで、褒めることが無かった。元々学生全員が自意識過剰な所があったから保身も兼ねてボクの業をけなし倒す。そんな生活にやりがいなんぞ感じられる訳もなく、徐々に自信を失っていく。中学校までは頑張った分何らかの形で報われた(事態が好転した)が、高校からは頑張っても報われない(何も変わらないばかりか罪悪にもなる)現実を突きつけられたのがこの頃だ。

 そんな顔面蒼白の状態で進学した東洋大学で、またいじめに出くわした。今度はシカトだ。グループワーク(学生実験)では全く作業に参加させてもらえず、何か手伝おうと思っても作業を割り振ってくれないばかりか手順すら教えてくれない。手伝おうと思って話をふったとしても、どの器具を使うかたずねるくだりで「そんなこと自分で考えな」と吐き捨て、手詰まりにさせる。4時間以上黙らされたあげく実験の結果だけもらう(終盤にはそれすらなくなった)だけとなり、苦痛だった。実験中の態度も含めた総合評価である以上高評価は望めないし、実験の過程が分からないからレポートもまともなものが書けない。ズルをした所で自分の身にはならないという大義名分、こんな腐った奴らと同じ場にいたくないというホンネで、ボクは初めて登校拒否をした。そして事態を改善すべく精神科に通うようになる。前述の小学校で受けた暴言「精神病院に行っちまいな!」を、約10年の時を経て実行したことになる訳だ。

 そして留年を経て卒業。社会人生活は仕事が長く続かない。叱られて自信喪失になる癖は高校以来そのままだ。ストレスのはけ口がないので自分の中に溜め込んでいるというのは親の分析。でも親に愚痴った所で何の救いにもならないことは、小学生の頃から分かってる。同僚とは愚痴合戦になって、結局ボクが聞き役に回っちゃうから発散にならない。ましてや営業職となると、例えばかつて所属していた株式会社光通信では1日14時間労働は当たり前のようでコンタクトすら取れないのが現状だ。昔のキレ性が復活して上司に歯向かったら、もう警察沙汰の年齢だし。

 すぐ自信喪失になる癖は高校時代に染み付いたもので、それが大学・社会人生活をまともに過ごせなくしている。自意識過剰な同級生・後輩とも馴染めなかったことを振り返ると、いじめに準ずる状況にボクは置かれていたのかもしれない。小中学校では克服できた「いじめ」は、高校を境にして克服できなくなっている。そして心の傷をバックリ広げているのだ。この傷をふさぐ(癒すなんて生易しいものではない)何かを求めて、これからもいろんな書物や情報に触れていく。

 教育現場ではいじめを未然に防ぐ努力をされているようだが、おおむね小中学校どまりだし、対策も失敗に終わるケースもある。心の傷を抱えたまま成長した元いじめられっ子に、是非ともフォローをお願いしたい。

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コメント


     失礼いたします  
  「 いじめ・勝利法則」 のご案内です 
        ご笑覧ください。
     http://www4.ocn.ne.jp/~kokoro/

はじめまして、エルといいます。


非常に興味深く読ませていただいたので書き込んでみました。3年前の記事にコメントされても迷惑かもしれませんが、もし迷惑でしたらスルーもしくは消去してください。

何が興味深いかというと、似ているところが多い所です。大学を留年していたり(私はまだ卒業していませんが)、自信喪失の癖があったり…。

私は、小学校の時に休み時間は常に殴られ続け、教師に塩酸を飲まされたりしていました。詳しく書くと長文になってしまうので書きませんが、私なりのいじめに関する考えを私のホームページで述べていますので興味があったらご覧ください。小説形式になっていて、第71話、第137話、あとがきあたりが該当です。

>前述の小学校で受けた暴言「精神病院に行っちまいな!」を、約10年の時を経て実行したことになる訳だ。
>この傷をふさぐ(癒すなんて生易しいものではない)何かを求めて、これからもいろんな書物や情報に触れていく。

私が考えるに、いじめによる心の傷は治る人は治るのかもしれませんが、治らない人は一生治らないと思ってます。私もその1人。私は一生この傷をひきずって生きていくことでしょう。ですが、完治できなくても癒すことはできると信じています。だから私は、同じ傷を持つ人を少しでも和らげてあげるために、精神科医になろうと思って頑張っているところです。

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