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2006/11/24

テレビ滅亡まであと56ヶ月

 苛め(いじめ)についてテレビで扱われることが多くなりました。時節柄そういった事件が多くなったこともありますが、逆にテレビで扱うことが苛めを加速させているとの向きも。それほど今のテレビに影響力あるのかなと疑問に思います。テレビに限らず全てのメディアがいじめについて報道し意見したところで、30年経っても苛めは教育現場に存在し続けていますからね。

 いじめられっ子(被害者)の自殺を食い止めるだけでなく、いじめっ子(加害者)の行為も止めさせる。個々の事件において各論で解決していくのが賢明かと。今回は苛めとテレビの相関関係について考えながら、敢えて苛め解決の総論を考えます。

 時にバラエティ番組での所作が苛めを助長するという論調があるけど、それは筋違い。その所作は得てして陰惨に見えないし、ちゃんと「芸」に帰着するよう送り手(出演者)は精進してる。要は受け手(視聴者)が未熟で無知だけなことで、加害者は所作が常人にはできないことを知らず自分の良い様に解釈し苛めの手段に格好つける。大人はそれを理由に嫌悪感を覚えるタレントをバッシングしているだけであり、現実には苛めの解決になっていないことに気付いていない。更に言えば両者とも自分のことだけ考えてて、被害者のことなど微塵も考えちゃいないのですよ。だって、そういうバラエティ番組の所作を見たほぼ全ての人が
「(例えば叩かれた人が)可哀相だ!」
なんて言わないじゃない。言うのはごく一部の痛いくらい熱狂的(とち狂った)ファンだけですし。

 バラエティ番組では、番組の構成そのものが受け入れなかったケースがあります。「ウィーケストリンク」「SPY 2/7」(共にフジテレビ)「サバイバー」「ザ・チーター」(共にTBS)。いずれも長続きしなかった番組です。これらに共通するのは、プレーヤー自身が他のプレーヤーを指名して退場させ、人数を減らすという進行スタイル。残り2人になるまで退場劇が続く訳ですが、その間にプレーヤーが見せる醜さとか小賢しさとかが視聴者の支持を得られなかったと思われます。
 でもこの退場劇って、一つの集団を維持するためなら必然のこと。集団に属さない存在・敵・悪の存在がいてこそ、その「集団」は成立する。存在しないならつくれば、つまり誰かを集団から排除すればいい。実社会でも、例えば愛国心というのは(諸外国じゃ)仮想敵国に対抗するから生まれるものだし、某独裁国家じゃ思想に反するばかりか民族の違いだけでも国策で命を落とす人がいる訳だし。
 苛めとて例に漏れず。基本いじめは集団的犯行。単独犯ならそれは嫌がらせ。加害者どもの集団意識という快楽の為、いじめられっ子は血祭りにされます。

 テレビ的論法で攻めた際に、苛めをなくすにはどうすればいいか?「紅白歌合戦」(NHK総合)始め枚挙に暇がない様に、集団2つが対抗する形式になるのが望ましい。被害者が孤立せず、被害者側が結束して新たな勢力を持つ。そのチャンスは、例えば何かの実行委員会に入るとか居残り勉強とか、いろんなケースがあるとは思います。「ここがチャンスだ!」と気負うよりも、「仲間が欲しい!」という意識がチャンスを見つけるレーダーになります(実体験)。

 苛めに対し、外部からどう立ち会えば良いのかというのは、「いじめ撲滅ネットワーク」というサイトによくまとまっているんですが、当事者に向けての言葉というのがなかなか見つからない。ボクとしても「時間」と「意識」が事態を好転できるとしか伝えようが無いんですけど。誰かお知恵を拝借できませんか?・・・テレビに問いかけても、30年答えは返ってこないんですが。

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