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2007/09/30

死ヌトイフコト・破

 先日、光市母子殺害事件の差し戻し審で集中審理が行われましたね。
 Wikipedia参照の通り、注目を集めるのは下記4点。
1.事件が残虐なものであったこと。
2.加害者が犯行当時18歳30日であったため、これに死刑を科すことへの賛否が分かれたこと。
3.被害女性の夫が強く死刑を求め、マスコミに度々登場したこと。
4.(特に上告審以降の)弁護団の弁護手法に批判が起きたこと。

 最近は4に依るところが大きいですが、事件当時の主要な論調は2だったはず。未成年に極刑を科すか否か、8年経っても議論は尽くせずにいますよね。

「命をもって償うしかない」 光母子殺害公判で陳述

 光市母子殺害事件で殺人や女性暴行致死などの罪に問われた犯行時十八歳だった男性被告(26)の差し戻し審が二十日、広島高裁であった。被害者の夫、本村洋さん(31)と被害者の母親が意見陳述し、「差し戻し審での被告の言葉は全く信じられない」などと述べ、被告を死刑にするよう裁判長に求めた。
 本村さんが法廷で意見を述べるのは広島高裁での控訴審以来で、約五年九カ月ぶり。本村さんは捜査や一、二審段階から一転、乱暴目的や殺意を明確に否定した被告の新たな主張について「(上告審段階で)弁護人が代わることで、ここまで主張が変わることが非常に不可解。(被告は)心の底から真実を話しているように思えず、真実なら絶望する」と述べた。
 さらに「生きたいと最期の力を振り絞って抵抗したであろう妻と娘の姿が、記憶にないのだから反省しようがないと思っている」とも主張。二人との暮らしや今の心境を振り返り「命をもって償うしかない。死刑を望みます」と強調した。
 弥生さんの母親も、弥生さん殺害後の乱暴行為を「生き返らせるための儀式だった」とした被告の新供述に「二人の命を粗末にする言葉でかわいそうでならない」と強い憤りを表した。さらに「愛する夫の名を叫び続けていたでしょう」などと涙ながらに語り「反省もなく、極刑が当然」と訴えた。
 意見陳述後の被告人質問で、被告は弁護人から新供述は真実かと問われ「真実です」と断言。「二人にどう償うか」との再三の質問には「まだ見つかっていない。見つける必要がある」と述べた。
 意見陳述に先立つ検察側請求の法医鑑定の証人尋問では、川崎医療福祉大の石津日出雄教授(法医学)が証言台に立ち、捜査段階の被告の供述と、遺体の痕跡に矛盾点はないとの見解を示し、検察側の主張に沿う証言をした。
 次回は十月十八日に検察側の最終弁論、十二月四日に弁護側の最終弁論が予定されている。(門戸隆彦)
[中国新聞:2007年09月21日]

 で、ボクは違ったところから爆弾を投下してみようかと。
 ボクは今回の事件について、犯人には死刑が妥当だと思います。そしてそれは被告のためだとも思うのです。

 これだけ社会が注目している事件の犯人は、結審した後生きていけるのかが分からないですね。8年という時間の流れは、想像以上に世の中を変えました。端的に言えば、犯人の名前や顔写真が容易に分かる世の中になったってことです。(試しに「光市母子殺害事件 犯人」でイメージ検索して下さい)しかも、被告はかの「ロストジェネレーション」世代にどんぴしゃ!いくら更正の余地があると弁護されても、社会が更正に向けて力を貸してくれるとは到底思えない。前科の無い人間だって生活に困窮している世の中だというのに、社会経験ゼロ僅かの人間が仮釈放されたところでどうなるんですかね。

 日本の無期懲役は、法に仮釈放が定められているものの相対的には終身刑の意味合いが強いです。刑法改正により、有期懲役の上限が20年から30年となったため、有期懲役刑の受刑者との均衡を図る意味でも将来的には仮釈放に至るまでの平均在所年数が更に長くなる可能性もある訳です。だとすると、社会に出るまでの長い獄中生活が心配ですよね。前述の通り、被告の素性を(ネットで仕入れた上っ面の知識であるものの)知っている受刑者がいる訳だから。娑婆より長い(現時点でも人生のほぼ3分の1)獄中の時間は被告に更正の光明を見せるのでしょうか。あるいは、刑務所の心地よさに埋没して再犯を重ねてしまうのでしょうか。

 でも記した通り、死には2つの観点があります。生物学的観点と社会学的観点。104人の死刑確定者は生物学的には生きているのでしょうが、社会学的には(恩赦や30年保留による失効が無い限り)永遠に一般社会と隔離されたまま。普通の無業者なら復職で生き返ること(社会復帰)ができるけれど、彼らにはその権利がない。つまるところ、社会学的観点では彼らは死んでいるとの同義なんですね。生物学的な死のきっかけが刑の執行か否かというだけのこと。
 話は逸脱しますが、死刑廃止論者が代替案としている終身刑もボクにとっては「社会学的に死」です。だから代替する意味がないとボクは考えます。社会から隔離することが本当に人権尊重なのか、論客に問いたいですね。

 今回の事件については、いずれにせよ重い判決が言い渡されることでしょう。他人事ゆえに好き放題書いてるボクらブロガーの無責任発言には皆さんも辟易していることと思います。ホントすいません。ただ、むげに生きる権利を振り回して死刑反対を叫ぶのはいかがなものかと思った次第です。この犯人が社会の構成員として生きていくのは、社会の側が許さない。そうでしょう?

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