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2007/09/30

死ヌトイフコト・序

 2007年9月10日は世界自殺予防デーでした。それに合わせて「死」についてアレコレ考えておりました。もう10月になりますけど、溜まった物を3回に分けて吐きだしてきます。

 まず考えられるきっかけとなったのは、このニュースから。

自殺の7割で原因が複合 NPOが遺族101人調査 

 九年連続で自殺者数が三万人を超える中、NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」(東京)は十日、自殺者の遺族百一人に聞き取り調査をした結果、複数の原因が絡む自殺が7割を占めていたと発表した。
 世界保健機関(WHO)が定めた世界自殺予防デーに合わせ、東京都内で開いたフォーラムで発表。「自殺の原因は一つではないと言われていたことを裏付けた」としている。ライフリンクは一千人を目標に調査を進め、来年度中に最終結果を取りまとめる予定。
 調査結果によると、病気、経済・生活、家族、勤務など警察庁の自殺統計と同じ七つの原因分類を用いて尋ねたところ、六十七件で複数の原因が挙げられた。
 経済・生活問題についてみると、総計八十四件のうち、三十五件が勤務問題、十八件が家族問題、十二件が病気とそれぞれ複合していたという。
 一方、複数の原因を挙げた六十七件のうち四十七件では医師や弁護士など何らかの相手先に相談していたが、相手が複数だったのは十件だけで、相談先相互が連絡を取り合う必要性も浮かんだ。
 遺族本人に関する質問では、十九の家族が自殺後に警察や行政の対応で傷ついたと答え、四十五家族が周囲から非難された経験があるとした。「おまえが殺したも同じだ」と言われたケースもあったという。
[中国新聞:2007年09月11日]

 複合した自殺の原因。究明にはもう少しの時間は必要でしょう。そういう時期に打開策を提示するのは尚早と承知の上でボクの意見です。

 自殺増加の問題は、社会環境の問題だとボクは思うのです。充足感の得られる仕事をすること、ストレスを解消できる余暇を見つけることがとても大事なのではないでしょうか。

「どうして人を殺しちゃいけないの?」
という愚問があるように、
「どうして生きなきゃいけないの?」
という問いもあります。自ら死を決断した人からこのような問いを投げかけられた時、愚問とあしらわず真っ向から答えられる方がどれだけいらっしゃるのでしょうか。

 身も蓋もない話だけれど、生物学的観点では生きる意味などない。生体なんてただ有機化合物が重合してできた「遺伝子の乗り物」なのだから。細胞レベルでは自殺さえアポトーシスとして肯定される。生体を生体たらしめるのはアポトーシスのおかげといっても差し支えない訳で。

 それでも自殺が否定されるのは社会学的観点があってのこと。一個人が社会の構成員だとすれば、生きていく必要があるってもんだ。しかし本当に「生きる必要性」を求められているのかと問われれば、必ずしもそうでない。仕事中のみならず呑みの席でも上司から叱責される毎日、同僚と噛み合わない毎日、会社でさんざんこき使われたあげく何の充足感もないばかりか多くの何かを喪失していく毎日・・・。同僚が続々辞めていくかつての某企業に所属していた頃のボクには「死」がちらついていました。自殺するか過労死するかどっちかだ、と。結局その会社は逃げるように辞めました。唯一本気で引き留めてくれた同僚にだけは今でもすまなく思っています。ボクだけでなくその同僚の勤労意欲を奪ったその会社には、恨みの感情しか湧いてきません。

「生きている、それだけでいいんだよ。」
そんな言葉を宗教関係の方からかけられることも多いけど、そんなおべんちゃらはいらない。昨今の若者や俗に言うニートに対する厳しい論調を並べれば一目瞭然でしょう。

 自殺防止を声高にキャンペーンするのは結構なのですが、自殺を否定できるほど社会は成熟しているのでしょうか?ニート糾弾を例にとれば、その論調は決して「労力を必要としている」類のものではなく極めて破壊的です。一般的に徳のある大人の方々が糾弾をストレス発散の一環にしてるとしか思えないんですね。
 自殺防止を念頭に置くなら、だらしない若者は糾弾対象として存在している必要があるというパラドックス。

 閑話休題。自殺の背景に複数の要因があるとの記事ですが、抱えた悩み事を相談できる人ってそうはいないものです。「相談したところで相手を困らせるのではないか」と思慮深さが過剰になってしまったり、「相談したところでまともな答えは返ってこない」とあきらめてしまったり。両方ともボクの悪癖なんですけど、悩み事で気が滅入っている時ほど人の言葉が信じられないんですよね。だから自分でふさぎ込む。こういう姿勢は良くないとも言われますが、そういう時こそマジ相談しても(大抵結論がボクに非があるように収束する為)心が晴れません。ボクは社会の構成員として不的確なのではないか?生への欲求を試される瞬間でもあります。

 幸いボクは教育業界に身を置き少なからず働き甲斐を感じている(おかげで勤労意欲も回復してきた)し、余暇も充実しています。しかしモンスターペアレンツに遭遇するリスクもはらんでいる訳で、遭遇した時ボクの生への欲求が再度試されるでしょう。

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