歴史に学ぶ
検定を通ったはずの教科書が、多くの議論を呼ぶというちょっとおかしな話。
杉並区が扶桑社版教科書採択
東京都杉並区教育委員会は12日、来春からの中学歴史教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社発行の教科書を使用することを決めた。区立中23校(生徒数約6400人)で4年間、使われる。扶桑社版はほかに栃木県大田原市が採択し、東京都立の中高一貫校なども使用を決めている。並区教委は委員5人のうち3人の賛成で採択を決めた。
[共同通信:2005年08月12日13時00分]
ボクはこれ以上のことを知らないので、文中の教科書がどうこうという議論は避ける。しかし歴史の授業を受けるには特有のスタンスで臨むべきではないか?とボクは思う。
中学生の頃、社会科担当の先生から
「『歴史を学ぶ』のではなく『歴史に学ぶ』のです。」
ということを聞いた。当時は「何のこっちゃ?」だったけど、今になって何となく分かってきた。教わるのは史実だけ、それにどれだけ思いを馳せ意見を持てるかが大事なのだ。そして各人のそれをぶつけてみる(話し合う)。解釈は人それぞれだから、必ず意見が食い違う。それを互いに認識することも、歴史に学ぶということなのかもしれない。
歴史の教科書は、幕末以前は年表や図表だけで十分。だって時代劇見るときの予備知識くらいしか役に立ってないし。本当に必要な近現代史には手厚く時間を割いて欲しい。もちろん教科書も箇条書きでいいんじゃないですか?余計な扇動を防ぐためにも。
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