2005/08/19

歴史に学ぶ

 検定を通ったはずの教科書が、多くの議論を呼ぶというちょっとおかしな話。

杉並区が扶桑社版教科書採択
 東京都杉並区教育委員会は12日、来春からの中学歴史教科書として「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社発行の教科書を使用することを決めた。区立中23校(生徒数約6400人)で4年間、使われる。扶桑社版はほかに栃木県大田原市が採択し、東京都立の中高一貫校なども使用を決めている。並区教委は委員5人のうち3人の賛成で採択を決めた。 
[共同通信:2005年08月12日13時00分]

 ボクはこれ以上のことを知らないので、文中の教科書がどうこうという議論は避ける。しかし歴史の授業を受けるには特有のスタンスで臨むべきではないか?とボクは思う。

 中学生の頃、社会科担当の先生から
「『歴史を学ぶ』のではなく『歴史に学ぶ』のです。」
ということを聞いた。当時は「何のこっちゃ?」だったけど、今になって何となく分かってきた。教わるのは史実だけ、それにどれだけ思いを馳せ意見を持てるかが大事なのだ。そして各人のそれをぶつけてみる(話し合う)。解釈は人それぞれだから、必ず意見が食い違う。それを互いに認識することも、歴史に学ぶということなのかもしれない。

 歴史の教科書は、幕末以前は年表や図表だけで十分。だって時代劇見るときの予備知識くらいしか役に立ってないし。本当に必要な近現代史には手厚く時間を割いて欲しい。もちろん教科書も箇条書きでいいんじゃないですか?余計な扇動を防ぐためにも。

2005/06/07

進化のハナシ

 さきほど筑紫哲也NEWS23にて、アメリカで進化論を教えることに意義を唱える人がいることを紹介していた。宗教が政治に介入するシーンが、ブッシュ大統領再選以降顕著にあらわれているらしい。

 意義を唱える人は、聖書にある「地球上の生物はそれぞれ個別に、創造主(神)によって創られた」という創造論を主張している。「ヒトはサルから進化した」という進化論を受け入れないのは、思想の中に「ヒトが最も高等な生物で、サル等の下等生物と一緒にするな」というのがあるのだろう。進化論をつきつめていけば全生物が皆親戚ということだから、受け入れないのも何となく納得できる。

 しかし現時点での真実を扱う科学を教える上で、誰かの思想を押し込むのはいかがなものか?宗教を守るがためにウソを教えてもいいのだろうか?両論併記ということで議論を棚上げにする策もあるとのことだが、事実関係を整理させればどちらが正しいかは明白だろう。ボクはキリスト教徒でないので聖書の何たるかは全く知らないのだけれど、キリスト教保守派の行動には疑問が残る。そこから派生するトンデモ科学も、読んで脳みそがショートしそうな文献だから困ってしまう。

 昔から科学で証明できないことは宗教が取り繕っていた。科学が発達するにつれて相容れなくなってきた宗教だけれど、地球上の一番最初の生命はどう生まれたのかはまだ定かでないので、それは神が創ったということで宗教が取り繕っていただけないだろうか。教科書には載せられないけど。

 参考文献として「進化論と創造論」にリンクします。今回は「503号室異状なし」にトラックバックです。

2005/06/05

ニートに対峙する

 ここ最近働くことの厳しさを痛感しているけど、それでも退社するには至っていない。それは、働いて収入を得ることがボクの生命線になっているから。収入が労働の対価である以上、勤労意欲はわずかながらでも湧いてきている。資産家にでもなれば事情は変わってくるんだけどねぇ。

あいまいな定義、ニートの人数が政府内に混在
 学校教育を受けず、働かず、職業訓練にも参加しない「ニート」と呼ばれる若者対策が重視されている中、ニートの定義がはっきりしないため、国内のニート数をめぐり、政府内で2種類の数字が混在する事態となっている。
 厚生労働省は2004年の労働経済白書で、2003年のニートは約52万人とする初の推計を発表した。総務省の労働力調査を基に、15~34歳の非労働力人口のうち学卒、未婚で家事・通学をしていない人を「ニート」と定義したものだ。
 厚労省は5月末、「政府の統一見解」として、<1>学籍はあるが、実際は学校に行っていない人<2>既婚者で家事をしていない人――をニートに加えて、2003年のニート数を約64万人と上方修正した。
 一方、内閣府の有識者研究会は今年3月、総務省の就業構造基本調査を基に、厚労省がニートに含めていない「家事手伝い」も含めて総数約85万人(2002年)との推計を発表した。
 家事手伝いについて、研究会は「社会参加していないケースが多い」と分析したが、厚労省は「将来主婦になる人が多い」と判断したことが、異なる推計値につながった。厚労省は「ニートは新しい概念で、定義が難しい」としているが、関係者からは「数が定まらなければ対策の取りようがない」との指摘が出ている。
 「ニート」は1990年代後半に英国で生まれた言葉。政府は先月26日、「若者の人間力を高めるための国民会議」(議長・奥田碩日本経団連会長)を設置するなど、ニート対策に本腰を入れている。
[読売新聞:2005年06月04日22時46分]

 ニートがニートであり続けるのは、彼らを養っている人(おおむね親)がいるからだ。しかも甘やかした形で。ニートには「働かない人」と「働けない人」がいるそうだけれど、前者については小遣いをやめて自力で収入を得るよう喚起させるべきである。ボクも大学生になってから生活が小遣いで賄いきれなくなってバイトを始め、給料が入った途端小遣いがストップした経緯がある。まぁ小遣いを超える収入があったから困ることはなかったが、後に突然解雇された時はかなりあせったし、働かないと生活すらままならないということを痛感した。後者については心の病が介在している可能性があるので慎重に対応する必要はあるけど、そういう形に追い込んだのは周囲の人々なのではなかろうか。例えば就職活動でことごとく嫌われ続ければ、働くことの必要性も見失いがちだ。心の傷をないがしろにし、放置してきた責任は重い。
 学校教育で働くことの大切さを「勤労の義務」としか教えない国もおかしい。何か具体的な形で教えるべきだったのだ。それは学園祭で模擬店を運営させるだけでも効果がある。もうけに向かって真剣に取り組むのを忌み嫌う風潮があるみたいだけど・・・。ともあれ、国はニートの人数が分からない云々言っている場合では無い!

 今回は「太助の館」にトラックバックです。心の病については、また後で触れたいと思います。

2005/04/14

これが数学の解き方だ!

 灘中学の入試問題(算数)から一部改題したものがある。
「異なる3つの自然数があり、3数の和に4を加えたものは、3数の積に等しい。このような整数の組み合わせは2通りある。その組み合わせ及び2通りしかないことを証明せよ。」
これをボクなりに解いてみました。以下、数学嫌いの方にはむしずの走る文が続きますがご容赦下さい。
要するに、これだけ論理的に考えるのが数学の面白みということです。

 3数をa,b,c(a>b>c)とする。仮定より
a+b+c+4=abc
が成立するとする。この式を変換して
abc-a=b+c+4
a(bc-1)=b+c+4
この時、bcも自然数なので以下の場合が考えられる。
(1)bc=1のとき
b=1、c=1となり、b>cを満たさないため不適(3数の組み合わせ無し)。
(2)bc=2のとき
b=2,c=1となり、方程式を解くとa=7となる。これは題意に適する。
(3)bc=3のとき
b=3,c=1となり、方程式を解くとa=4となる。これは題意に適する。
(4)bc=4のとき
b=4,c=1となり(b=c=2は仮定に反する)、方程式を解くとa=2となる。
a>bを満たさないため不適。
(5)bc>4のとき
a(bc-1)は3aより大きい。さらに両辺にaを加えると
a+a(bc-1)=a+b+c+4 さらにa+b+c+4=abcなので
a+a(bc-1)=abc
左辺は4aより大きい。a>b>cより右辺は3aより小さい。
左辺>4a>3a>右辺となり題意に反する。よって不適。

よって、題意を満たす3数は(7,2,1)と(4,3,1)の2通りだけである。

 今回は、きっかけを下さった「瀬戸智子の枕草子」にトラックバックです。

2005/04/11

教科書問題・社会編

 教科書検定の問題でひときわエキサイトしているのが社会科であろう。しかし何が問題なのかと論じるには、論点がかなりブレる。反日デモが中国・韓国で起きているので、愛国心(国を想う気持ち)に焦点を絞って論じたいと思う。

 日本の教科書では愛国心について教育することはできない。それは社会科の教科書が、ただ史実を時系列でなぞっているだけだから。「歴史に学ぶ」という言葉があるけれど、これでは想いを馳せる余裕も無い。国威発揚など夢のまた夢だし、急務でも一切ないのである。

 かといって中国・朝鮮の場合はさらに納得できない。国威発揚のために60年以上前の史実を引き合いに出し、日本への憎悪を植えつける。その反日教育(北朝鮮の場合は反米教育も)が昨今のデモにつながっていると思われるが、他国を憎むことでしか自国を意識できないなんて、なんとも哀れな国だろう。史実というのは伝聞であり歪曲される運命にある。現政権下の出来事ならまだしも、そんな昔の話知るか!(こういう国から内政干渉を受けるご時世、日本も中国・朝鮮の教科書を注視し、反日教育を止めさせるべく動くべきである。もしくはミサイル威嚇や元寇、仏教伝来さえも「侵略」ととらえた上で中国・朝鮮を敵国視し、日本も国威発揚した方が良いのでしょうか?まぁ「沈黙は金」という言葉もあるからねぇ。今の日本人でいられて良かったと思いますょ、ホント。

 今回は「おもわせダイアログ」にトラックバックです。論点が列挙されているので参照してみてはどうでしょ。

*「花ずきんの小部屋 on Blog」にもトラックバックしました。そうか、核や戦争を否定するなら自国が犯した侵略行為も教育した上で否定すべきだ。

2005/04/07

教科書問題・理数編

 この時期の風物詩となっている?教科書検定問題。今年もかなりエキサイトしました。

 文部科学省は5日、来春から使用される中学校教科書の検定結果を公表した。学習指導要領の範囲を超える「発展的内容」が中学で初登場し、学力低下を受け練習問題も増加。ページ数は現行に比べ数学と理科がともに23%増えるなど、ゆとり路線のスリム化から一転、教科書の厚さは16年前の水準に戻った。数学の「二次方程式の解の公式」など高校レベルの内容が、発展的内容として復活した。 
[共同通信:2005年04月05日16時45分]

 ボクもつい昨日まで中学生相手に数学を教えていたので、とても気になっていた話題です。この一件で、考えうる問題が二つほどあります。
 まずは教育現場の問題。発展的内容は高校入試に出ないとは言うが、習う以上は日頃のテストに出ることは避けられない。(もしテストに出さない「教えっぱなし」なら、ただでさえ短い授業時間のムダである。)各学校・クラスの方針でカリキュラムが細分化していくでしょう。その細分化に、教育に携わる全ての人がついていけるのかが分かりません。例えば学習塾でテスト対策をするにも、生徒がどういう内容を教わったかが教科書だけでは見えないので対策のしようがない。とくに今年度、学校側は発展的内容の補完プリントを出すことが予想されるので苦労を強いられると思います。
 そして不公平の感が否めないのは現在の高校生、ゆとり教育にどっぷり浸かった世代です。発展的内容を学ぶ権利すら与えられなかった生徒は今後の授業に実力・意欲共に対応できるのか?いずれは必ず高校や大学の授業でまとめて習うことになるでしょうが、その詰め込みラッシュに挫折してしまわないか心配です。教育改革が起こるたび、改革前の世代に何の補償もされていないという現実は良くない。改革前の世代は平然と進学していきますが、大学のベテラン教授に白い目で見られるのが予見できます。「発展的内容」とて大学じゃ「周知の事実」になりかねませんから。これ、23歳の経験談ネ。

 今回は「瀬戸智子の枕草子」にトラックバックです。社会科編は、また今度。

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